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PRESS RELEASE

2008年11月23日
独立行政法人理化学研究所
富士通株式会社
社団法人日本将棋連盟

将棋棋士の「直観思考」を科学、修練は新たな直観回路を作る

-プロ棋士の直観回路の測定に成功、修練された直観思考の謎解明が展開-

本研究のポイント

  • プロ棋士とアマチュアで脳活動を比較し、プロに固有の脳活動を発見
  • 駒組の定跡形とデタラメ形をプロ棋士は0.1秒で区別する脳波活動を観測
  • 将棋盤面を頭頂葉背内側の部位で読み取って、大脳基底核で次の一手を選択

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長、以下、理研)と富士通株式会社(野副州旦社長、以下、富士通)および株式会社富士通研究所(村野和雄社長)は、社団法人日本将棋連盟(米長邦雄会長、以下、日本将棋連盟)の協力を得て2007年4月から展開していた共同研究プロジェクト「将棋における脳内活動の探索研究」において、プロ棋士の優れた直観が独特な直観回路を作ることなどを世界で初めて明らかにしました。

将棋の棋士は、長年にわたり将棋に特化した思考の修練を重ねており、指し手の予測、選択、あるいは長考とその中での一瞬のひらめきなどに見られる独特の思考の過程には、脳の思考の仕組みの謎を解く重要な鍵が隠されていると考えられます。同プロジェクトでは、将棋棋士の対局中の直観的な状況判断や、指し手の決定過程などにかかわる脳の神経回路の情報処理メカニズムを解明し、人間に特有の直観思考の仕組みを解明することを目指しています。

これまで、プロ棋士とボランティアのアマチュアの協力を得て、将棋課題の開発、およびfMRI(注1)測定、脳波(注2)測定による脳活動の解析を進めてきました。その結果、プロ棋士の脳の瞬時の活動として盤面の駒組を読む時、および一手を選択する時の脳活動を測定することで、アマチュアとは異なる脳の思考回路の存在が示されました。一手の選択には大脳基底核(注3)の一部である尾状核頭部(注3)の活動が現れました。行動選択を担うとされる同部位の活動は、習慣性行動の言葉にできない記憶を蓄えることで知られ、棋士が無意識に手を選択する能力への修練の効果を示唆するものです。

プロジェクト研究はまだ継続中ですが、直観思考を解明する道筋が見えてきたといえます。将棋における直観思考の解明は、文化の中で育てられた人間に固有の知性解明への突破口として、国内にとどまらず世界中の教育や情報技術として成果が広く展開されることが期待されます。

背景

コンピュータが目覚ましく進歩し、演算速度や記憶容量の大きさでは人の脳を凌駕するスーパーコンピュータも出現してきました。しかし、「言語を用い、直観を働かせ、抽象や概念を形成し、問題への解答を見いだし、自分自身を改善する」、人間のような思考能力を持つ人工知能の実現にはまだ遠い道のりがあるように見えます。このような人類の夢ともいえる大きな目標に近づくには、人間だけが持つ「直観思考」にかかわる脳の仕組みを理解することが重要な一歩となります。

脳は、それぞれ独特の回路網構造を持ち、異なる働きをするいくつかの部位に分かれています。思考の際には、大脳皮質の知覚作用、小脳のシミュレータ作用、大脳基底核の選択安定作用、大脳辺縁系の目的指向作用、大脳皮質の執行作用などが連携した大きな系として働くと想定されています。これらの脳部位の作用のそれぞれが、かなりの程度で理解されるようになってきた現在、思考の仕組みの全体的な構成とその働き方を明らかすることが、脳科学の大きな課題となっています。将棋の棋士は、長年にわたり将棋に特化した思考の修練を重ねており、指し手の予測、選択、あるいは長考とその中での一瞬のひらめきなどに見られる独特の思考の過程は、直観思考とも関係が深く、脳の思考の仕組みの謎を解く重要な鍵が隠されていると考えられます。


研究内容

  1. 将棋の局面理解に関わる脳波活動:プロ棋士とアマチュアの違い

    プロ棋士は、駒組の意味を瞬時に認識することができると考えられます。実験では、駒組を5秒間ずつ被験者に呈示して駒配置を記憶してもらい、駒組を見た直後の脳波活動の変化を調べました。具体的には、定跡形とルールを無視してデタラメに配置した駒組(デタラメ形)の2種の駒組を用いて比較しました。

    駒組呈示直後の脳波活動の解析から、プロ棋士では、定跡形とデタラメ形では、脳波活動に明確な違いが見られました。プロ棋士の場合、定跡形が提示されると0.1秒後に前頭部で約7ヘルツの活動の上昇が見られたのに対し、デタラメ形では0.1秒後に側頭部で約7ヘルツの活動上昇が見られました。アマチュアの上級者では、2種の駒組での大きな差はなく、いずれの部位も0.3秒後に活動上昇しました。

    プロ棋士だけ、わずか0.1秒で定跡形とデタラメ形でそれぞれ別の場所に脳波活動が現れたことは、プロ棋士が良手か愚手かを瞬時に識別していることを示唆しています。アマチュアには見られなかったこのような脳波活動は、熟練技能によって複雑な情報を瞬時に理解できる脳内機構の解明への一歩として重要と考えられます(図1)。

  2. プロ棋士の脳:局面理解と直観的指し手選択

    プロ棋士は、盤面を見て一瞬のうちに最善手を直観的に思いつきます。この優れた能力の神経基盤を知るために、盤面の知覚と次の一手の直観の両面についてfMRI実験を行ないました。

    盤面の知覚については、プロ棋士が将棋盤面を見ると頭頂葉背内側部(楔前部)(注4)の神経活動が高まることを見いだしました。この部位は、物体、顔、景色、また西洋のチェスの盤面、さらにあり得ない将棋盤面(将棋の規則にはのっとっているが実戦ではあり得ないパターン)では活動しません。アマチュア初級者でも活動が生じませんでした。この頭頂葉背内側部位の活動がプロ棋士の素早い盤面読み取りを支えていると思われます(図2)。

    次の一手の直観については、プロ棋士が詰将棋、または必至問題(注5)の答えを短時間の間(1秒)に直観的に思いつく時、いずれの場合でも大脳基底核の一部である尾状核頭部(右側)が活動することを見いだしました。直観で解けない問題の解を意識的に探しているときには、大脳基底核は活動せず、前頭前野、運動前野、補足運動野などの大脳皮質連合野の広い領域に活動が見らました。行為の習慣化に重要であると考えられてきた大脳基底核が、プロ棋士の直観においても重要な働きをしていると考えられます。現在、次の一手の直観におけるアマチュアの脳活動分布を調べています。

  3. 将棋の上達と小脳

    詰将棋を直観思考課題として用いることにより、直観思考には運動学習と同様に小脳がかかわる、という小脳仮説の検証を目指しました。小脳の働きを確かめるにあたり、まずは詰め将棋を直観的に解ける状況と、解けない状況を準備する必要があります。その2つの条件のもとで小脳の働きを調べることにより、直観的な思考に小脳が関与しているかどうかを確かめることができます。

    視覚的ルール変更を組み込んだ詰将棋(図3)を実施した結果、詰将棋を直観的に解く能力が高い人は、駒の文字の記号への置き換えのような「妨害」がある状況でも、能力が低い人に比べて正しく答えることができます。しかし、金銀の動きを入れ替えた強すぎる「妨害」の場合には、正しく答える能力は損なわれることが分かりました。この課題で小脳の活動を調べることにより、直観的に詰将棋を解く能力と小脳活動の関係を解析することが可能となりました(図4)。現在、小脳の脳活動測定を進めています。

まとめと展望

新たな将棋課題の開発と脳の活動の測定から、プロ棋士では、盤面の知覚から手の選択までの過程にわたって、アマチュアにはない特徴的な知見を見いだすことができました。脳波測定からは、プロ棋士が複雑なパターンの知覚においても単純な刺激と同程度に素早く判別する回路を持つことが示唆されました。fMRI測定からは、プロ棋士が盤面の知覚については頭頂葉背内側部(楔前部)に、次の一手の直観については尾状核頭部に、特有の活動が見られました。大脳基底核は、これまで繰り返しの学習で言葉にできない操作の記憶形成に関与することが知られていました。プロ棋士では、複雑な盤面の情報を瞬時にまとめる能力と、こうしたことばにならない記憶の部位とが連携することで、複雑な課題での直観思考が実現すると考えられます。大脳と小脳が、連携する回路が将棋課題での直観思考のどのような側面に寄与するか、現在検証が進行中です。

本プロジェクト研究はまだ継続中ですが、今後さらに知見を積み重ねることで一連の回路の働きとして直観思考を解明する道筋が見えてきたと考えています。将棋における直観思考の解明は、文化の中で育てられた脳の働きの解明、人間に固有の知性解明への突破口となり、またその成果が教育や情報技術として広く展開されることが期待されます。富士通は、情報通信技術が未開拓の分野に、この研究成果を適用していけることを期待し、本プロジェクトに協力していきます。


添付資料

PDF 補足説明 (353KB)


以上

注釈

  注1 fMRI:
病院などの医療現場でも一般的に用いられているMRI(磁気共鳴画像)の撮影方法を工夫することで、脳の中で血管と神経細胞が酸素をやり取りしている様子を画像にしたもの。脳波と同じく、神経集団が揃って活動しているありさまを観測できる。厳密には神経活動ではなく酸素の需給プロセスで、脳波ほどの早い変化は測定できないが、高い空間分解能で脳の中の活動を見ることができる。刺激反応課題をはじめとしたさまざまな課題における人間の脳機能解明に広く利用されている。
  注2 脳波:
脳神経の集団活動に由来する電位の時間変化を頭皮上の電極で観測したもの。時間変化は特徴的な周波数を持った成分から構成されることが知られており、神経集団で揃った活動の成分が観測される。例えば4~8ヘルツはシータ波、8~13ヘルツはアルファー波と呼ばれる。当初各周波数成分の強度が眠気や覚醒の指標とされたが、近年、認知運動機能の神経活動を反映することが知られるようになった。
  注3 大脳基底核、尾状核頭部:
大脳基底核は小脳と並ぶ2つの皮質下運動系の1つの総称で、操作、慣習行動の選択を担うとされる。その中で尾状核頭部は大脳皮質から主な入力を受けて、行動関連出力を伝えることが知られている。
  注4 頭頂葉背内側部:
楔前部とも呼ばれる。視覚イメージの形成やできごとの記憶想起のとりまとめに関与することが知られている。
  注5 必至問題:
将棋で相手玉を「必至 (詰みではないが、相手がどう指しても次に詰む状態)」に持っていく指し手を答える問題のこと。詰将棋と同じく、読みの能力が試される。

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